よい子のための絶対銀域

例えるなら銀様の膕

感情の整理整頓

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サムネ用

もう1年半くらい経って色々と戻ってきたので、これまで投稿出来ていなかった下書きをそのまま投げます。読み返しも推敲もしてない未完成文なので滅茶苦茶ですけど、何となくいつでも読めるようにしておきたかったので。日記が”未来の自分への現状報告”だとすれば、これが初めての日記投稿ですね。

まず現在の話から。件のプラケースはまだ片づけられていなくて、イモリの水槽の横に写真と一緒にそのまま置いてあります。先日、水槽のフィルターのコンセントを挿す際に手がケース上の写真立てに当たって、一緒に置いてあるレジンの鳥を倒してしまったんですよね。幸い、破損や紛失はしなかったのですが。

以前ブログでも紹介した漫画『クッキー☆四姉妹物語』に「ただの思い出になったときに、初めてそれは夢の中に受け入れられる」みたいな台詞があるんですよね(元ネタは他にあるのかもしれない)。多分、ちょっと前の自分だったら絶対手が当たらないように気を付けてた筈だよなって考えてしまいました。僕もようやく”そんな時も~”と言えるようになったのかもしれません。下書きに関しても、ついさっき読み返したらポエトリック・メンヘラ・センテンスで正直キツい部分もあったんですけど、でも人間って多分こうやって生きてきたんですよね。

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いつかこのケースも無心で片づけられるのでしょうか

2021/9/12~9/18

 

以下過去の下書き、日本語が奇妙だったり途中で終わってるのは別にそういう演出じゃなくて頭がごちゃごちゃしていた頃に書いただけなので、意図はないです

 

 

 

ブログで書くかどうかずっと悩んでたんですけれど。

一ヶ月前から一緒に生きていた白文鳥のはとさんが二週間前に亡くなってしまいました。

別に面白いことだけが人生じゃないですし、なによりもはとさんの事を何処かに残しておきたかったので報告する事にしました。

 

いつか自分で「そんな時もあったね」なんて言いたいので特に推敲も見直しもせずに言葉を打っていきます。今は正直「そんな時も~」なんて思えるようには絶対なりたくないのですが。

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My forever friend…

家族で犬を飼うことになり向かったペットショップで僕が一目惚れしたのが始まりでした。

一緒だったのは二週間にすら満たないとても短い時間でしたが、最期から二週間以上経った今でも正直辛いです。

文鳥の雛はスポイトのような器具で世話主が餌をあげなければいけません。

まだはとさんは飛ぶのが上手ではなかったため、ケージではなくプラケースにマットやらヒーターやらを入れておうちにしていました。

 ヒーターだとか餌だとかはもう物置に閉じ込められたんですけど、マットの入ったケースが掃除出来ません。いなくなってから三日間はまだはとの匂いが残っていて、寝る前なんかに抱きしめていたんですけど、もう匂いも飛んでいってしまいました。多分僕ははとを忘れたくないんだと思います。人間の記憶ってわりと強靭で柔軟で、何より薄情なので辛いこと悲しいことをすぐ忘れてしまおうと考えます。

誰にでも”死んだ時に覚えていてくれる相手”が一人はいると思います。でもはとには僕しかいなかったんです。ぴょんぴょん跳ねる様子がどれだけ可愛かったかとか機嫌の良い時に少しだけ聞かせてくれる綺麗な鳴き声だとか餌を見せた時の必死に口を開ける表情の面白さだとか親指の付け根のあたりで寝るのが好きだった事とか、同居している人たちもフォロワーの人たちにも教える前だったのに。

亡くなってしまった生き物はまだ亡くなっていない生き物がその思い出に囚われてしまうと天に辿りつけない、みたいなオカルトを以前聞きました。

人間とか鳥とか関係なく、僕に見える好意を見せてくれたのははとが初めてでした。

体はもう必要なくなってしまったので、庭に埋めました。

文鳥はある程度成長してからでないと性別の判断が難しいので、はとは結局”はとくん”なのか”はとちゃん”なのか分かりませんでした。いずれ卒業するはずだった”はとさん”呼びでお墓に語りかけるという事が、ベランダから庭が見えるたびに後悔の形を成すので未だに自分を責めてしまいます。

日没の時間に眠らせるため、朝早くに餌をあげるため、早寝早起きを心がけていました。目覚まし時計はストレスになると申し訳ないので枕の下にスマホを入れてバイブレーションで起きるようにしていました。まだ片付けられていないプラケースが寂しそうに見えてしまい、はとがいた頃の生活リズムを出来るだけ維持しています。

「虹の橋」っていう現代神話があって、亡くなった生き物は天国の手前にある虹の橋のふもとで生前のパートナーがいつかやってくるのを待っているそうです。僕がいつかそのふもとに訪れた際に手のひらを差し出した時、はとは果たしてまたいつもみたいに親指の根元で眠ってくれるのでしょうか。

しっかり健康診断に連れて行ってあげていれば、もっと早く病気に気が付いてあげていれば、